のど元を過ぎ、熱さを忘れてしまわないうちに…

今回の震災、特に津波の被害の映像は何度見ても悲劇的です。「映画を見ているようだ」と形容している人もいます。

さて、この東日本の太平洋岸を襲った大津波ですが、ふと、10年近く前に読んだある本の事が頭をよぎりました。それは畑村洋太郎氏の「失敗学のすすめ」というタイトルの本です。当時、仕事の周辺でとある失敗の取扱われ方に疑問を抱き、たまたま何かで知った本書を手に取ったのです。畑村氏の研究および著作は、私たちがネガティブなイメージを抱きがちな「失敗」というテーマについてポジティブに捉えさせてくれます。

少し長いですが79ページからの一節を引用します。(引用部分だけ読むとネガティブな印象を受けてしまうかもしれません。全体を通して読むことをお薦めします。)

失敗情報は伝わりにくく、時間が経つと減衰する

<前略>

失敗情報が減衰する事を示す典型例をもうひとつあげましょう。昔から何度となく大規模な津波被害を受けてきた岩手県三陸海岸を歩いたときに実際に見聞した話です。

<中略>

その三陸海岸の町々を注意しながら歩いてみると、あちらこちらに津波の石碑を見つけることができます。大規模な津波が押し寄せるたびにつくられたもので、犠牲者も多かった古い時代の石碑は慰霊を目的にしていました。その中には、教訓的な意味合いが込められたものもあり、波がやってきた高さの場所に建てられ、「ここより下には家を建てるな」という類の言葉が記された石碑も少なくありません。上の写真を見て下さい(筆者注:実際には写真が掲載されています)。この石碑にはここより下に家を建てるなと書いてあるのに、そのすぐ下に家が建っているのです。日々の便利さの前にはどんな貴重な教訓も役立たないことを物語っています。

昔から伝わるそんな忠告を人々が忠実に守り、いまでも石碑より下には絶対に家を建てないなど徹底した津波対策をとっている地域ももちろんあります。かと思えば別の地域では、便利さゆえに先達たちが残した教訓を忘れて、人が次第に海岸縁に集まっているところもありました。

そんな地域でも今では防潮堤がつくられるなど対策がとられていますが、その昔は教訓などまったく忘れたある日、再び突然やってきた津波ですべてが押し流されてしまうということもあったのです。その経験もやはり石碑に教訓として刻まれたりしますが、それでもなお一部の地域では便利さゆえに海岸縁に住み続けています。

このように一度経験した失敗がごく短期間のうちに忘れられ、再び同じ失敗を繰り返すことは珍しくありません。三陸海岸という津波常襲地帯で行われてきた過去の例にも、「失敗は伝わりにくい」「失敗は伝達されていく中で減衰していく」という、失敗情報の持つ性質がはっきりとうかがえます。

いかがでしょうか。

改めてこの箇所を読み、言葉が出なくなりました。これは津波被害に遭われた方々のことを指して書かれた文章ではありません。まさに私たちが教訓を得なければならない。身の回りで当たり前になっていることをもう一度見直さなければと強く思いました。

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書名:失敗学のすすめ
著者:畑村洋太郎
発行:講談社/2000年11月20日
ISBN:4-06-210346-X


探すと似たような記事が見つかったのでリンクしておきます

「忘れた頃にやってくる」から災害になる

岩手県宮古市の丘の上には,「ここより下に家を建てるな」と書かれていたりします

三陸海岸の石碑は警告していた

帰宅支援マップ、もうひとつの側面

この度の大地震で被災された方々には心からお見舞い申し上げます。また一日も早い復興を願って止みません。

さて、私が今住んでいる東京でも本震ではかなりの揺れを感じ、今までにないほどの恐怖を覚えました。(個人的には震度5以上は初めての経験です。)そして首都圏における地震そのものの被害は、建物の一部崩落や工場の火災などを除き、広範囲には及びませんでしたが、2次的な被害として鉄道が全てストップしてしまいました。JRは当日中の復旧を早々に見送り、私鉄も復旧は夜間に及びました。

そしてそれが大勢のいわゆる帰宅難民を生みました。ニュースでも報道されましたが、徒歩で帰宅する人が続出したようです。一方で無理に帰ろうとしないように制する呼びかけもありました。東京都では以前から災害時の「帰宅困難者」の想定はされていたようですね。(参考:東京都防災ホームページ

この件で思い出したのが数年前に出版された「災害時帰宅支援マップ」です。地図の昭文社が、都心から郊外へ徒歩で帰宅する時に役立つような情報(公衆トイレの位置や危険な場所など)を盛り込んで作成した、非常にニッチな商品なのですが、発売当時はその着眼点の斬新さに感動して1冊購入したのです。

実際手に取ってみると地図はいわゆるメッシュではなく、街道を中心に描かれ方面別に索引がつけられており、ナビゲーションとしては大変分かりやすいものでした。当時は横浜南部に住んでおり電車で通勤していましたが、本当に災害に遭った時のために歩いて帰る予行練習をしておこうと考えました。

ある土曜日、午前中に都心の歯科医で検診を受けた後、一人でその地図を片手に徒歩で帰ることにしました。横浜南部に帰るには赤坂付近から第二京浜という大きな通りを経由するのですが、最初は見慣れない景色を楽しむことが出来たものの、都心に比べると第二京浜は殺風景で退屈極まりなく、途中でコンビニに寄ったりトイレに行ったり休みながらではありましたが、徐々に疲労が蓄積していきました。そして5時間ほど歩いたところで小雨に遭い、それで完全に挫けてしまいました。(最寄り駅から電車に乗って帰ったのは言うまでもありません。)

当時、この予行練習から私が学んだことは、本当に被災して帰れなくなっても徒歩で帰りたいという衝動を堪えようということです。もちろん人それぞれに事情もおありでしょうし、他の誰かが徒歩で帰宅するのを止めようというつもりはありません。あくまでも「自分はそうしよう」というものです。私も今は東京に住んでいますし、都心で被災してもハイキングのつもりで歩いて帰れますし、そうするでしょう。しかし都心から10時間も歩くような場所に住んでいたとしたら、衝動的に帰宅しようとする前に「一度冷静になれ」と帰宅支援マップは教えてくれたのです。


映画館をイベントスペースとして捉え直すと…

本日の日経新聞に「スポーツ・音楽 シネコンで(3D映像など中継/会場並みの迫力)」という記事がありました。

要するに映画館で映画以外の映像コンテンツを上映して集客しようという試みなのですが、私は以前、映画情報サイトに携わっていたことがあり、こういった上映があることは知っていました。例えばお笑いライブやAKB48などのアーティストのライブ上映などです。この記事を読むと2009年と2010年とで映画以外の上映本数を比較しており、その動きがいよいよ本格化して来たということのようです。

新聞記事によるとこんな背景があるようです。

  • 設備のデジタル化により映画以外のコンテンツを上映しやすくなった(フィルムの設備だとこうはいきませんよね)
  • コンサートなどのコンテンツは映画作品に比べて単価を高く設定できる

私はこの動きには賛同します。というのも、「映画離れ」ということが囁かれて久しいですが、映画で集客できないのなら集客できるコンテンツを探そうというのは、インフラを有効活用する意味で自然な流れだからです。映画館を単なる映画を上映する箱としてではなく、イベントスペースとして捉えた場合、様々な活用方法が考えられるのではと思いました。海外で行われたサッカーのワールドカップの試合が日本のスタジアムで中継された事を考えると、同じ事を映画館で実施しても充分に集客できそうですね。

一方、去年、ある映画作品を観にある映画館へ行った時の話です。普通ならチケットを買う際に座席を決める事になるはずなのですが、そこでは全くの自由席!それもそのはず、作品のせいなのか分かりませんが、土曜日の夕方にもかかわらず座席の2割くらいしか埋まっていない。劇場スタッフも覇気が無く、部外者の私でもこれはさすがにまずいのでは?と感じました。

映画館なのだから映画を、というこだわりを捨てて発想の転換をする勇気。これからも見守っていきたいと思います。

侮れない無料素材のクオリティ

先日すごい事に気付きました。とあるサイトでオリジナルの音楽素材が「無料で使用可、使用報告不要」という条件で配布されていて、例えば無料のFlash®ゲームのBGMとしてもよく使われているようなのですが、その中のある曲が、あるFM局におけるCMのBGMに使われていたのです。私が知る限りでは2曲(2つのCMに1曲ずつ)使われています。

私は以前、コンテンツ業界に関わっていたことがあり、イラストや写真などの画像やフォント、楽曲などの素材をWEBでよく探していました。そういったものは仕事として作られたものもあれば趣味で作られたものもあり、当然クオリティも様々です。「え、こんなに素敵なものをタダで配っているの?」というものから「え、これでお金を取るの?」と失礼ながら思ってしまうものまであります。

そして使用条件についても制作者によって様々で、「お、自由に使わせてくれるのか、ありがたい」というものや「これこれはOKだけど、これこれはNG」と細かく規定されている方もいらっしゃいます。よくあるのは商用はNGだけど非商用はOKで、商用の定義は云々…というもの。そういった利用規定とかそれに類するものは利用する前には当然目を通すのですが、商用利用の場合に有償にするならともかく、利用そのものがNGとなっていると特にその素材がすばらしい時は正直がっかりしてしまいます。せっかく作品がすばらしいのに制作者のスタンスによっては利用を見送らざるを得ない。

無償配布に利用制限はある程度必要です。例えば著作権を放棄しないとか、そのまま素材として2次配布禁止とか、そういうのはよく理解できます。でも利用シーンを細かく規定して制限を課すというのはちょっと勿体無いと感じます。というのも冒頭の例のように「自由に使って下さい」というスタンスだからこそ思いもよらなかった使い方がなされ、そして思いがけないところで多くの人に披露され、評価される事になると思うのです。

良い素材を無料で、しかも緩い条件で公開されているクリエイターの方には敬服しますし、今後も良い作品を作り続けていただきたいと心から願います。