「想定外」は免罪符か

ちょっと前の話で恐縮ですが、5月2日付の日経新聞1面トップに「新しい日本へ」と題した連載の記事が掲載されました。この連載は大震災で失われたものを元に戻すのではなく、教訓を生かして新たな国を作り上げようという趣旨のようです。そこで採り上げられていた話題に関連して述べたいと思います。

よく、信頼性を損なう事件――例えば個人情報漏洩や集団食中毒など――が起こると「安全神話が崩壊した」などと報道されます。しかし、その【神話】という言葉のニュアンスには、「真実でない」「裏付けがない」といった性格が隠れているように思います。つまり「安全だと信じていたけれど、そうではなかった、裏切られた」という思い。幾ばくかの悔しさ、恨めしさがにじみ出ている表現です。

そしてまたよく関係者のコメントとして登場するのが「想定外」という言葉です。これは実に巧い言葉です。「想定していない、想定できなかったのだから自分には責任がない」というニュアンスを感じさせます。逆に言うと責任逃れのようにも聞こえます。何故なら本当はリスクについて警告する人はおり、それに対して耳を傾けず、対処もしなかったからです。その言い訳が通るのなら何も危機を想定しないことが許されてしまいます。

私はリスクマネジメントはリスクを直視することから始まるのだと考えています。いや、一般的にはそう教わると思います。先日の記事でも紹介した失敗学の畑村洋太郎さんが言うには、日本では「見たくないものは見ない。考えたくないことは考えない。」(冒頭の新聞記事引用)まさに安全神話はそうした国民性が創り出したものなのでしょう。どんなに「○○○は危険だからやめた方が良いよ」と言ったところで、煙たがられるのが落ちです。(日常のことを色々当てはめてみてください)

もちろん、脅威を回避するだけがリスクマネジメントではなく、対策を何もしない「受容」という考え方もあります。しかしそれは脅威が現実のものとなった際には「きちんと想定した上で何も対策をしないことにした」と言えなければなりません。そしてそうなった場合にどうするかということは最低でも考えておかなければならないのです。それは覚悟であって「想定外」とは全く違います。

「想定外」は免罪符にはなりえません。それは想定する能力の欠如を意味するか、免罪符にすがろうとする浅ましさを露呈するだけなのです。少なくとも、想定していなかったことを謝るべきであって、居直る態度はいただけません。



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