ITコーディネータの吉田聖書です。
今月初めに行ったドイツでの話をしようと思います。
海外に限らず、見知らぬ土地を訪れると
現地の人たちにとっては当たり前のことでも、外の人にとっては驚きの対象であることが多々あります。
きっと日本を訪れる外国人も、同じような驚きを感じているのではないかと推測します。
ITコーディネータの吉田聖書です。
今月初めに行ったドイツでの話をしようと思います。
海外に限らず、見知らぬ土地を訪れると
現地の人たちにとっては当たり前のことでも、外の人にとっては驚きの対象であることが多々あります。
きっと日本を訪れる外国人も、同じような驚きを感じているのではないかと推測します。
ITコーディネータの吉田聖書です。
今回はショートバージョンです。
先週の金曜日はプレミアムフライデーでした。
今年の2月から始まったプレミアムフライデーも
半年が過ぎて、その検証を待たれる声も聞かれます。
最近Facebookで流れてきた記事にインスピレーションを受けて、私の思うところを書いてみたいと思います。
(元の記事はこちら)
先輩の「メモを取れ」は絶対的に正しいアドバイス。
「メモを取ること」の是非は色々と言われていますが、私もステップアップしたいのであればメモを取るべきと思っています。もちろん、この記事のように何の目的でメモを取るのかが明確でなければ余り意味のない作業になってしまいますので、何をするにも目的意識を持つことは大事かなと思います。例えば、私が一番無駄なメモだと思うのは、何かを見れば書いてあることなのに、人が説明していることをひたすら書くというものではないでしょうか。そういう事柄は書いてある方を見れば済むので自分では書かない。
むしろ、どこにも書いていないこと…特に話している相手や、話を受け止めた自分自身の思考のプロセスを書くことは後でふりかえった時に役立つと思います。そこに後で自分が考えたことを付け足したり整理して、より思考を発展させ、新しい施策・取組みのアイデアの源泉にしています。メモが有れば、一旦思考を中断しても、またそこから再開することが容易にできます。メモが無ければどこまで考えたっけという「巻き戻し」をしなければならず、これでは時間がいくらあっても足りません。
メモの取り方もそれが打合せ(会議)なのか講演なのかによっても多少変わってきますが、基本は同じです。会議の場合は直近の課題について話し合われることが多いので、メモの内容がすぐに活かせる場合が多いでしょうが、講演の場合はもっと一般的な内容になってしまうためふりかえる機会は少ないかもしれません。しかし、そうやって思考の種を書き記し、時々読み返すことで思わぬひらめきが浮かんでくることだってあります。もしメモが無ければこのようなことは起こりません。
メモを取るということは漫然と行っている限りはとても面倒くさく感じられるものです。そこで、メモを取る目的を自分なりにはっきりさせ、何をメモし何をメモしないかをはっきりさせる。あとは習うより慣れろで、時々ふりかえりながら、どうすればより効果的なメモになるかを考えながら実践していくことが大切なのではないかと考えています。
余談ですが、最近ではペーパーレスの時代のためか、ノートの代わりにパソコンを打合せや講演に持参し、キーボードを打ってメモを取る人も見かけますが、私はノートにペンで書く方が好きです。それは、ノートの方がより自分の思考が素早く反映されるからです。もっとも、最近ではPCが搭載されたペンタブレット(専用のペンでメモを取れる)というものも登場してきているので、今後はそういった手段もアリかなと思っています。
ドイツの大手自動車メーカーであるフォルクスワーゲン社(VW社)の排ガス不正問題はまだ真相究明に至っておりませんが、最初にニュースを聞いた時には正直驚きました。それは「あのVW社が」というポイントであって規制逃れの手法そのものに驚いたわけではないのですが、そうこうしているうちに、今度は横浜市のマンションの傾きの発覚により施工データの偽装が明らかになりました。いずれもまだ問題の全容が見えていない段階ですので詳しい言及は避けますが、なんとなく似たような臭いを感じます。
特にVW社による不正の類は、IT業界では大なり小なり割とある話なのではないかなと思います。VW社の場合は市場に出してしまったのでかなり大きな問題になっていますが、リリースまでには直す前提で、例えば工程完了判定をパスするために不具合があっても検査に合格したことにするということは、実際にやるかどうかは別として簡単に出来そうなものです。ですので、テスト結果を鵜呑みにするのではなく、あるいはテスト結果だけを評価するのではなく、どのようにテストしたのかというテストのプロセスを評価するような仕組みが必要になってきます。
あるシステム開発でテストの自動化を導入した時のことです。開発チームではメンバー間で生産性や品質にばらつきがあるのは普通のことですが、全体として短納期で高品質を求められた結果、あるメンバーはそれがプレッシャーになったのか自動テストのコードはスカスカで、本体のプログラムは全くダメという状況に陥ったことがありました。この時、自動化したのは単体テストのみで、結合テストは通常通り手動で行うことにしていたのですが、単体テストの時はテスト結果が毎日OKとなっていたので問題ないように思われたのですが、結合テストになって初めてその品質の悪さが露呈したのです。この時はその人の書いたプログラムはほぼ作り直しで、納期には何とか間に合ったものの、当人以外のリカバリーを担当したメンバーは大変な思いをしました。
テスト駆動開発という開発手法も存在しますが、いずれにせよ合否の基準が最初から決まっている場合、エンジニアはその基準に合わせて開発を行う傾向があります。これは何もシステム開発だけではありません。会社の人事評価も同様です。会社が良かれ悪しかれ定めた基準によって、社員はその行動パターンを決定します。例えば、基本給は横並びだけど持っている資格に応じた手当を継続的に出すよということにしたとしたら、多くの社員は本業はそこそこに就業時間中に資格取得のための勉強に励むでしょう。
話を戻してソフトウェアの場合、予めテストの合否基準が決められていることで、効率的に開発を進めることができる部分があるのかもしれませんが、それで全てがうまく行くわけではないという至極まっとうな教訓が得られました。チーム全体が意欲的な場合にはうまく行くが、そうでない場合は特に、人には失敗を隠そう、ごまかそうとする性質があります。VW社の不正も環境負荷の少ないエンジンが供給できず、それを隠すために不正なソフトウェアを組み込んで試験を通そうとしたようですし、施工データの偽装も担当者が失敗を隠すためにデータを偽装したとの報道がなされました。今後全てのことが明らかにされた時、また新たな教訓が得られることと思います。
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本日(校正している間に日付が変わってしまいましたが)、毎年恒例、JSDGの中華街新年会に参加してきました。去年はエントリーしておきながら(確か体調を崩してだったと記憶しています)ドタキャンしてしまったのですが、今年は無事に参加することが出来ました。しかも今年は中華街新年会としては過去最高の33名の参加がありました。
いつも色んな方と話が出来て刺激になるのですが、今回はたまたま隣席にいらしたITのコンサルタントとIT人材の話になりました。コの業界ではよく「ユーザ企業」「ベンダ企業」という呼び方がありますが、前者はITを利活用する企業で事業会社とも呼ばれることがあります。そして後者はITのシステムやサービスを提供する企業ということになりますが、アメリカ合衆国ではその従事者の割合が3:1なのに対し、日本では真逆の1:3であるという統計に基づく事実について教えていただきました。
その方に言わせれば「これじゃあ日本は勝てないよね」「技術者をユーザ企業に戻したい」ということになるのですが、少なくとも日本では過去に事業会社が情報システム部門を子会社化して切り離した経緯があり、その弊害が顕著であることは私自身も現場に出て肌で感じております。それに気付いている企業は既に内製化に舵を切っており、一度子会社化したシステム部門を本体に吸収した企業も知っています。以前も書いたかもしれませんが、そもそもSIというビジネスがもはやWin-Winの構造になっていないため、全てのユーザ企業が舵を切ればSIビジネスは消えるでしょう。そして舵を切らないユーザ企業はSIベンダと共に衰退していくと想像されます。
私自身もSIの仕事をしたことがありますし、SIの仕事をしている知り合いもたくさんいます。なのでなかなかこんな話はして来なかったですし出来ませんでした。でも、今日、このように話を伺い、きちんと考えておられる方がいると知って嬉しく思いました。
私は10年ほど前に、とある技術者コミュニティーに顔を出していたことがあり(数回限りでしたが)、とあるネットの記事を題材にこのテーマについて議論を交わしたことがあります。当時の私はまだバリバリの技術志向でしたから、アジャイルかウォーターフォールかという開発手法の話題として捉えていました。ところが、開発手法はビジネスモデルとも絶妙にリンクしていて、議論を交わしているうちにSIモデルはいつか終わるんだという認識を持ったものです。それ以来、どのようにこの業界でビジネスをやっていくかということを自分なりに考えてきました。
まだ明確な答えは見えていませんが、時々刻々と変化していくIT環境に合わせて、直接的であれ間接的であれ事業会社のサポートを行っていきたいと考えてきましたし、今もそのように考えています。内製化をしたいという企業があれば、それをうまくやるための方法を一緒に考えていきたいです。人とITとをつなぐ・・・ここは必ず押さえていきたいと思います。
(参考)
スルガ銀-IBM裁判から垣間見えた“SI時代の終焉”
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20120507/394881/
アップル社のiOS 7、そしてマイクロソフト社のWindows 8がリリースされてからというもの、あののっぺりとした味気ない画面(UI)に抵抗を感じています。おそらく私はコンピュータの画面が文字ベースからグラフィカルになった頃から今日に至るまでコンピュータに慣れ親しんできて、UIの変遷を見て来ていますので、そもそもUIはリアルでリッチな表現を目指して進化してきたんじゃなかったっけ?というのが素朴な疑問です。
なんていうんでしょう。iPhoneが登場したころ、様々なアナログ・オブジェクトがモデリングされてアプリにされました。そこではピンチやスワイプといった、タッチパネルならではの操作方法と共にそのデバイスの特徴が示されていたと思います。スマートフォンに限らずパソコンのOSでも、例えばボタンはあの立体的な描写だから指で押したくなるわけで(といっても従来のパソコンではマウスポインタを当ててクリックするだけなんですが)、それが急に平坦になるとどうして良いか分からなくなってしまうのです。
とはいえ、iPhone登場前後に、ある種のサイトがこぞってボタンの表現を立体的でガラス光沢のある描写に変えた時、それにも抵抗感を覚えたことも事実です。従前の描写ではなぜいけないのか、その理由が全く見えなかったからです。どうも最近のこの平坦な描写への方向転換は、UIにおける描写のリアルさ、リッチさが本来意図していなかった方向に加熱してしまったことに対する反省に基づいているということのようです。
例えば、本がめくれるような描写は、紙の本を読んできた人でないとピンと来ません。リアルなマイクの図柄も、あのようなマイクを見たことが無いとこれがマイクだと理解できないかもしれません。そうなると、知っている人にとっては「説明しなくても扱い方が理解できる」というメリットがあっても、知らない人にとってはそういうメリットは享受できないことになります。芸人のモノマネが真似ている対象を知らないと面白くないように、パロディが元ネタを知らないと面白くないように、模倣というのは原典(オリジナル)を知らない人にとっては模倣の意味が無いものです。
リアルさ、リッチさとは少し異なりますが、パソコン向けの多くのアプリケーションが「保存」という操作をさせるためのアイコンの図柄にフロッピーディスクを採用しています。しかし、そもそも最近のパソコンにはフロッピーディスク装置が付いていることがほとんど無く、フロッピーなんて知らない人たちがいてもおかしくありません。そうなると、フロッピーディスクのアイコンが何をするものか想像できない人も出てくる可能性があります。
現在進行している方向性は、よく標識に喩えられています。標識は道路に限りませんが、日本の道路標識は非常にシンプルで分かりやすく、良く考えてデザインされていると思います。もし道路標識がリアルでリッチな描写を採用していたら、立ち止まって眺めるにはいいかもしれませんが、車を運転しているときに一瞬で判断しづらい(つまり目的を達成しにくい)のではないかと想像できます。
実は、iOS 7からiPhoneを使い始めたという人からは、このデザインに対して別に違和感はないという意見を伺っているので、そういうものだと思えば済む問題なのかもしれません。となると、今は過渡期なので全てのフラットデザインが使い易いわけではないとしても、流れとしてはシンプルな方向に向かっていくと思うので、やはり慣れていくしかないのではないか、と私の中では結論付けております。
先日プリンタが壊れました。正確に言うとプリンタと一体になっているスキャナが壊れたのですが、スキャナはすぐに必要だったため、壊れた翌日に買いに行きました。
実はこのプリンタ、個人事業主として独立した10年前に購入したものです。それまで持っていたプリンタはどんなんだったか忘れてしまいましたが、ほとんど使っていなかったのではないかと思います。しかもプリンタはパラレル接続の単品で、スキャナはこれまたSCSI接続の単品でした。そこに独立というイベントが発生し、今後は仕事で使うだろうということでプリンタ・FAX・スキャナ・コピー機能を有するいわゆる複合機を購入したのです。ある意味苦楽を共にした機材でもあり、やや心残りではあります。
独立すると印刷したりコピーを取ったり紙の資料を電子化したりといった局面が増え便利に使っていましたが、個人ユース向けとはいえ複合機ともなるとそれなりに筐体のサイズも大きく、引越しの度に難儀していました。また、数年前から、印刷の時に紙を複数枚同時に巻き込んでしまうことがあり(経年劣化によるローラーの摩耗が原因だそうですが)今度インクが無くなったら買い替えようと思っていたところでした。まさか先にスキャナに接続できなくなるとは…
それにしてもプリンタって安くなりましたね。現行機種と同等の機能を有するものでも充分に安いのですが、今だったらFAXは要らないし、ADFも無くて困るほど使ってはいないので、そういったものを排除するともっと安くなりました。それでも無線LAN経由で印刷が出来たり、両面印刷も標準で対応しているなど必要なところは押さえています。しかもコンパクト。デスク周りが非常にスッキリしました。
最近書かれたネット記事か最近発売された書籍のテーマなのか分かりませんが、ここ最近「チームとグループの違い」についてのトピックを良く目にします。(ネットを検索すると真新しいテーマではないようですね。)
別にそのこと自体は良いのですが、言葉の違いというのを本来の単語の意味の違いを指しているのか、あるいは業界用語のようにビジネス上の意味付けの違いを指しているのかが気になっています。きっとそれは私が世の中を斜めに見ているせいかもしれません。そこで、一度辞書に立ち返ってその違いを整理してみたいと思いました。
ロングマンを引くとまず「team」はこう書かれています。
a group of people who have been chosen to work together to do a particular job.
ああ、なるほどと思いました。ざっくり意訳すると「ある作業を共同で行う目的で選ばれた人のgroup」となります。そして定義の中にgroupが出てきます。
一方の「group」はこうなっています。
several people or things that are all together in the same place.
あるいは
several people or things that are connected with each other.
つまり「同じ場所にいる人または物の集まり」あるいは「お互いに関係のある人または物の集まり」ということです。
こうやってみると確かにチームとグループは違いますね。ちょっとスッキリしました。
あけましておめでとうございます。今年は諸々の都合で本日から本格稼動です。
よく「目標には日付を入れよ」「目標ではなく計画を立てよ」などという提案を目にするのですが、私はそれを年初にやらなくても良いと思っています。どうしても実現しなければならないことであれば自ずと日付は決まってくるだろうし、実現してもしなくても良いものであれば日付を入れたところで私の場合はモチベーションにつながらないのです。
それに年初に綿密な計画を立てるのは――それが1ヶ月以内の話とかでなければ――難しいと思いませんか。大切なことは、実現可否に拘らずに、やりたいことを列挙することだろうと思います。やりたいことの背後には、少なからず成りたい自分の姿のイメージがあります。なので私の場合、前の年に実現できなかったことをもう一度思い巡らせて、まだこれを実現したいと思っているかを自問します。実現したいと思うのなら今年の計画に残し、そこまでの熱意は無くなっていると感じれば計画から外します。
また一方で、実現できたこと、あるいは実現に向けて少しは進んだことというものもあるはずです。「資格の取得」のように実現してしまえばもう必要のないものもあれば「○○の維持」や「○○の新規開拓」など継続して行うものもあります。それらももう一度振り返ってみて、継続して行うのならこれまでと同じように行うのか、あるいはもっと発展させるのかなどを考えていきます。
昨年の最初のエントリにも書いたように、私は比較的ざっくりとした計画を立てる方なので(計画というよりは目標や願望と言うべきかもしれませんが)、今年もゆるゆるとしかし着実に歩んで参りたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年も来年の手帳がお店に並ぶ季節がやってきました。私も先日購入しました。皆さんは手帳使ってますか。中にはもう手帳は持たずにスマートフォンで全てを管理しているという方も多いことでしょう。ですが、私は相変わらず手帳が好きです。私は個人事業主として独立したのを機に、それまで頓着していなかった手帳を選んで買うようになりました。独立したのは2003年ですから2004年版からですね。それ以来、毎年同じ型番の手帳を購入し続けて9年目になってしまいました。
しかし、ついに来年は全く違う手帳に乗り換えることにしました。今使っている手帳はもちろん当時としては色々品定めをして購入したものではありますし、なかなか使い勝手もよく、止めてしまうのは寂しい気持ちも正直あります。ですが、法人化してからは意識してそれまでとは違ったスタイルに舵を切って行きたいと考えていて、そのためにはどうも不足している感じがしていたのです。
手帳を選ぶポイントというのはたくさん考えられますけれど、今回乗り換えるに当たって、譲れないポイントを絞っていくつか押さえる事にしました。
私の場合は予定の管理だけでなく実績の記録を兼ねているので月間と週間といったカレンダーだけでなく、時刻の数字が入った罫線が入っていることが大事。今使っているものは朝の8時から夜の8時までしか描けないのでちょっと不足気味でした。来年は朝の6時から夜の10時くらいまで数字が入っている(しかも延長して描ける)のでしっかり記録できます。
また、スケジュール管理だけではなく業務や会議のメモ、日誌を兼ねているので普通のノートとして使える自由記入ページの豊富さは重視しています。こちらはページが半分以下になってしまいましたが、これまでも全部使い切ったことは無かったし、使い方を工夫すればなんとかなりそうではあります。
とはいうものの、使い勝手の良さは捨てがたく、来年新しい手帳をうまく使いこなせるか少々不安もあります。そんな時、そもそも何故乗り換えようと思ったのかという原点を思い出して克服していきたいと思います。