都合の悪いことは隠せ

プロジェクトオーガナイザの吉田聖書よしだみふみです。

今回は、前回の内容に関連して、
昨年から改めて気づかされた
レッテル貼りと思考停止について
書いてみたいと思います。

「メディアに対する信頼」というテーマ。
最近は個人的に関心があります。

何故メディアの信頼が低下しているのか
その理由がメディアの中の人が
理解をしていないのではないか
と感じられる報道をよく見聞きします。

メディアは取材したニュースソースから
報道というアウトプットに至る
プロセスが見えないので理解されにくい
という意見を聞いたことがあります。
でも、論点はそこではないと思います。

複数意見がある特定の問題(トピック)に
レッテルを貼っていることではないか
と考えています。しかもさりげなく。

ホットな話題であればあるほど、
多様な意見が現れます。
具体的に書くと問題あるかもしれないので
一般化して書きますが、
○○というトピックがあったとして、
××という意見と、△△という
大きく2つの意見に割れているとします。
そういう時にメディアでは
「××である○○」のように、
××であることが確定であり、
前提になっている言い方をする。
おい、そこはまだ決着ついていないだろう
と反論したくもなります。

「××かもしれない○○」
という表現であればまだセーフ。
「××とも△△とも言われている○○」
ならフェアだと思います。

一方、私たちの方は、あるトピックが
レッテルを貼られた状態でやってきます。
多くの場合、
それがレッテルだと気づきません。
だから「××である○○」と言われたら、
「ああ、○○は××なんだ」って
無意識のうちに思ってしまいます。
レッテルを貼る立場からすれば
そうやって思考停止させる狙いです。

ただ、××は確定事項ではないので、
それを前提とするその情報すべてが
意味のないものとなります。

レッテルを貼る行為は
真実を隠す効果があります。
だから情報を受け取る私たちは
レッテルを剥がして回らないと
知りたい真実に辿り着けないということ。
中にはそんな面倒くさいことまでして
真実なんて知りたくないという人もいます。
それもレッテルを貼る側の狙いです。

ああ、でも部外者なら
堂々とレッテルを剥がすのではなく
ちょっと剥がして中をチラ見したら
レッテルを元に戻しておいた方が
面倒なことに巻き込まれなくて済むかもしれません。

私が尊敬するG.M.ワインバーグ氏が
問題が正しいレッテルを貼られてやってくることはない
というようなことを書いていたと記憶しています。

私のように外部の会社を支援する立場では
その面倒を引き受けるのが仕事ですので、
何か問題が報告された時、
レッテルをいきなり信用するのではなく、
少なくとも中をチラ見する覚悟は必要です。
(ああ、自戒を込めて…)

レッテルを責めたところで解決はないので
私たちが如何にレッテルから身を守るか
を考えていく方が建設的かと思います。



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