一時期「モチベーション」という言葉が流行ったように感じた時期があるのですが、よく、教育や育成という文脈の中で、施す側であれば「褒めて伸ばすか、叱って延ばすか」、施される側であれば「褒められて伸びるか、叱られて伸びるか」という二者択一を見聞きします。そして「あなたはどっちのタイプ?」という問いかけが頻繁になされることによって「世の中にはその二択しかないのだ」という先入観を植え付けられてしまっていないでしょうか。例えば次のような問いがあります。どのように答えたらよいでしょうか。
あなたの部下もしくは後輩が、あなたの目の前で仕事を進めていました。見ると、明らかに要領の悪い間違ったやり方をしています。このままではミスが出るか、能率が悪く時間がかかってしまいます。そんな時、上司もしくは先輩であるあなたはどのように声をかけるでしょうか。
- (A)『そのやり方はよくないね。こうやった方がいいよ』と教える
- (B)失敗するかもしれないが、あえて何も言わずに黙っておく
- (C)『もしかしたら、××のようなことが起きるかもしれないけど、その場合はどうする?』と未来を予測した質問をぶつけてみる
- (D)『こんなやり方もあるけれど、どうかな?』と別の方法を提示して、それを採用するかどうかは相手の判断に委ねる
(本文より)
書名だけでは分かりませんが(カバーを見ると分かりますが)、本書は褒めない、叱らない(更に言うなら教えもしない)第三の育成方法を提唱しています。「そんなんで本当に育成なんてできるの?」と疑問に思いながら読み進めていくと、なるほどと思わず納得してしまう理由が書かれていました。考えてみると至極当たり前のことが書かれており、しかもどこかで読んだことがあったり、あるいは既に実践している方法だなと感じる部分も多くありました。ただし、それらは断片的であり、合理的な説明でもって体系的に整理できたという意味でも本書は読むに値するものであったと思います。
なぜ褒めても叱ってもいけないのか。この問いを考える時にふと思い出すことがあります。それはいつからか周囲が使い始めた「上から目線」という言葉。これは「あんたの物言いは上から目線だよ」という風に一種の侮辱に対する不満を表明する際に使われるように思います。「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないんだよ」って思うこといっぱいありますよね。ああ、もしかしたらこの文章もそういう風に捉えられる可能性もあり気を付けたいと思いますが、人は上下関係において下に置かれようとされた場合にこうした不愉快な気持ちを抱くものではないでしょうか。そして「褒める」とか「叱る」というのはこういう自分が上で相手が下という関係を無意識のうちに作っている行為だということです。だから褒められても叱られてもダメだということなのだそうです。
そこで第三の方法とは、上から目線ではなく、相手と対等な関係を築き、相手を信頼するというものです。制約理論(TOC)を提唱したエリヤフ・ゴールドラット博士も「人は元々善良である」と主張しました。あれやこれや心配しなくても人はなんとか善くしようと心がけるものです。目の前の相手もその性質を帯びていると信頼するかどうか。「褒める」とか「叱る」というのはそういう本来人に宿っている善意を踏みにじる行為であり、そのような扱いを続けることでその人が本来持っている力を奪うことにつながるということなのです。
そうは言っても、簡単にできることではないと感じます。今まで「褒める」とか「叱る」という手段を意識して取ってきた人にとっては尚更でしょう。本書はアドラー心理学の考え方をベースにした部下育成のノウハウですが、単なる理屈ではなく著者の経験に裏付けられた実践のためのヒントが豊富に盛り込まれています。私も繰り返し読んで実践につなげていきたいと考えています。
書名:アドラーに学ぶ部下育成の心理学
著者:小倉 広
発行:日経BP社/2014年8月18日
ISBN:978-4-8222-5030-0