CCPM勉強会に参加してきました

東京タワーが近くに見える会場でした

本日8日、毎月開催されている私的なIT勉強会に久しぶりに参加してきました。今回のテーマはCCPM。今年に入ってから改めて興味を持つようになり、弊社としても求められるクライアントに対してはサポートできるように日々勉強しております。3月にはグローバル・オプティマム社の主催するCCPMセミナーにも参加いたしました。

今回の進行役はY2研究所の吉田裕美子さん。吉田さんもこの2年くらいCCPMを勉強しておられるとのことで、「最短で達成する 全体最適のプロジェクトマネジメント」という書籍をテキストにして発表されました。私も事前に一読して参加しましたが、当たり前のことを当たり前にやるのがCCPMの極意。でもそれがすごく難しい。本書に限らずCCPMやTOCに関する書籍は何冊か読んでいるのですが、いつも読んで納得するもののなかなか実践するには至らないというのが正直なところです。実は今回の参加者の間でも質疑や議論が盛んに行われましたが、どうやって導入するかというところが一番の関心事であるように感じました。

もちろん、まずはCCPMの考え方を理解して、導入するチームや組織にも理解をしていただく必要があるのですが、大上段に構えてしまうと自分がチームのメンバーだったら引いてしまいますよね。なのでできるだけCCPMと言わずに、そのエッセンスを取り入れることができないかというのが私のテーマであります。

実はこっそり既に試しているものもあり、例えば進捗度の指標としてパーセンテージを使うのではなく残日数で行うというものは、周囲の方々には少しずつお話しして納得していただいているところです。進捗何パーセントっていかにも管理してますって聞こえますけど、例えば昨日50%で今日60%という報告を聞いて、その差の10%分が1日の進捗度合いとして妥当なものかを判断するのはとても困難だと思うのです。ところが、残日数での報告にすると昨日から今日にかけての差というのは1日でなければおかしい。誤魔化し様がないのです。こういったことから少しずつ始められたらいいなと思っています。


今お使いの手帳は気に入っていますか?使い易いですか?手に馴染んでいますか?

今年も来年の手帳がお店に並ぶ季節がやってきました。私も先日購入しました。皆さんは手帳使ってますか。中にはもう手帳は持たずにスマートフォンで全てを管理しているという方も多いことでしょう。ですが、私は相変わらず手帳が好きです。私は個人事業主として独立したのを機に、それまで頓着していなかった手帳を選んで買うようになりました。独立したのは2003年ですから2004年版からですね。それ以来、毎年同じ型番の手帳を購入し続けて9年目になってしまいました。

しかし、ついに来年は全く違う手帳に乗り換えることにしました。今使っている手帳はもちろん当時としては色々品定めをして購入したものではありますし、なかなか使い勝手もよく、止めてしまうのは寂しい気持ちも正直あります。ですが、法人化してからは意識してそれまでとは違ったスタイルに舵を切って行きたいと考えていて、そのためにはどうも不足している感じがしていたのです。

手帳を選ぶポイントというのはたくさん考えられますけれど、今回乗り換えるに当たって、譲れないポイントを絞っていくつか押さえる事にしました。

  • 前半は見開き一箇月
  • メインは見開きが一週間
  • タイムテーブルが描ける
  • 後半の自由記入ページが豊富

私の場合は予定の管理だけでなく実績の記録を兼ねているので月間と週間といったカレンダーだけでなく、時刻の数字が入った罫線が入っていることが大事。今使っているものは朝の8時から夜の8時までしか描けないのでちょっと不足気味でした。来年は朝の6時から夜の10時くらいまで数字が入っている(しかも延長して描ける)のでしっかり記録できます。

また、スケジュール管理だけではなく業務や会議のメモ、日誌を兼ねているので普通のノートとして使える自由記入ページの豊富さは重視しています。こちらはページが半分以下になってしまいましたが、これまでも全部使い切ったことは無かったし、使い方を工夫すればなんとかなりそうではあります。

とはいうものの、使い勝手の良さは捨てがたく、来年新しい手帳をうまく使いこなせるか少々不安もあります。そんな時、そもそも何故乗り換えようと思ったのかという原点を思い出して克服していきたいと思います。


組織として成果を出せるようになるためには?

7日にJSDG(日本システムアドミニストレータ連絡会)の第36回東京ミニ研修会が開催され、参加してきました。私自身は半年振りの参加です。発表者はY2研究所の吉田裕美子さん。タイトルは「どう違うの? 外資系企業の情シス・シスアドの仕事」、テーマは「日・米『良いとこ取り』で考える、シスアドのためのリーダーシップとチーム力」という内容でご講演を頂きました。

リーダーシップについての話は別のエントリに書くことにしますが、日本において典型的な外資系企業、特にアメリカ企業の日本法人のイメージというとどんな感じでしょうか。外資系企業で働いた経験のある知人によると、社員ごとに役割分担が明確で、自分の仕事だと認識していないことについては協力せず、社員同士が足の引っ張り合いをし、また、社員の入れ代わりが激しく、多くの人が腰掛けのつもりでいて、給料は高いが帰属意識は低いのだそうです。

吉田さんの話ではこれらに加えて、明確なJob descriptionがあり、成果にコミットする仕事のやり方をし、人選はトップがコストパフォーマンスを考えて行うのだそうです。この考え方の根底には一人ひとりが高い成果を出せば、組織全体の成果が高くなるという発想があります。しかし、それがうまくいくこともあるでしょうが、たとえそうだとしてもそれは長続きしません。一方で、日本企業の良いところを取り入れた外資系企業もあり、そこでは社員同士が協力し合ってチームとして成果を出すため、人が辞めていかないのだそうです。こちらの考え方の背景には、個人ではなくチームとして成果を出すということを意識している点。そのために銘々の強みを組み合わせるようなチーム作りが行われているとのことです。

面白いと思ったのはこれだけ明確に両極端の会社がある一方で、どちらともつかない会社があるということ。これは成果主義を取り入れている会社に多いのではないかと思いますが、人事制度には業種によって向き不向きがあるようで、多業種に事業を展開していながら画一的な制度を敷いている会社はそういった制度疲労を起こすケースがあるのではないかと感じました。

じゃあ結局どちらのタイプがいいのさ、という話ですが、これは人それぞれ好き嫌いもあるので一概にどちらが優れているということではないのですね。自分がどちらのタイプの組織で働きたいかという問いを自分に対して発してみましょう。そして、後者のタイプの組織がうまく機能するための秘訣が「リーダーシップ」なのだと理解しました。


東日本大震災から一年、改めてBCPを考える

今日はJSDGの東京ミニ研修会が開催され、参加してきました。今回のテーマはBCPです。東日本大震災から早一年が経ちまして、当時を振り返ると直接的な被害だけではなく、交通や物流の問題、在庫や仕入の問題、電力供給の問題等ビジネス環境に様々な影響をもたらしました。そこで急に注目を浴びたキーワードがBCP(事業継続計画)です。

今回は発表が2つありました。1つ目はBCMS(事業継続マネジメントシステム)についての発表でした。特に複数の拠点を持つ企業の場合、個々の拠点でBCPを策定していたりすると、それはそれで良いのですが、会社全体としては足並みが揃わないということがあり得ます。そこで、BCMSを規格化する動きが出てきているという要旨でした。ちなみにBCPとBCMの関係ですが、BCPは計画、BCMは運用でして、運用のための仕組みがBCMSということになります。ですのでBCPはBCMSにおいて用いられるものということです。災害対策、防災訓練は重要ですが、それ以上にマネジメントが重要なのですね。

尚、ここでいう規格というのは国際標準規格(ISO)のことで、ISO22301という規格がおそらく今年中には正式に発行されるのではないかということです。また、上位に当たるリスクマネジメントの国際規格としてISO31000というものも紹介されました。

2つ目は、東日本大震災発生時に実際にシステムダウンを体験された方の発表でした。震災を機に社内システムをクラウド化する動きも加速しました。しかし、クラウドサービスというのは原則としてどこにサーバが在るかは知らされていません。(中には国内にサーバが在りますと謳っているものもありますが。)特に海外にサーバが在る場合には、サーバが在る国の法律の制約を受けるという説明がありましたが、正直なところ私は余り意識していませんでした。問題になる頻度としては低いけれども影響を想定しておく必要はありそうです。最終的にクラウドサービスを選定し、社内サーバをクラウドに移行するに当たり、震災後検討に3箇月、準備と移行に1箇月かかったそうです。

その後休憩をはさんで意見交換・情報交換が行われました。普段聞くことができない事例をたくさん聞くことができ、大変有意義な研修会となりました。ここには全てを記載しきれませんが、一部ご紹介します。

  • やらなきゃいけないことは分かっている。では、本当にどこまでコストをかけられるのか。最後は経営判断でしかないが、その判断材料は充分に集める必要がある。
  • どこまでリカバリーを想定するかを判断し、その範囲を超える場合の覚悟を決めておかなければいけない。
  • BIA(ビジネスインパクト分析)は通常は起こりえないけど、起こったら大変なこと困ることは何かを考えることから始める。
  • 災害に限らず、原因はどうであれ何らかの理由で事業の一部が行えなくなった時に代わりにどうやるかを考えることが重要。原因型のBCPではなく機能停止型のBCPでないといけない。
  • 東京では地震の時のBCPよりもインフルエンザの時のBCP(社員の大半が出勤できない時の対応)の方が役に立ったそうだ。

作業に詰まったときの処方箋

仕事に取り組んでいると何かに詰まって作業が止まってしまうことがあります。私自身も時々そうなってしまうことがありますし、一緒に動いているメンバーがそうなってしまったことに遭遇したこともあります。

しかし、何かに詰まってしまった時、視野が狭くなって全く何も見えなくなってしまう人がいる一方で、そのような時でも自分を客観的に見ることの出来る人がいます。もちろん後者の方が建て直しが早く、まるで全てが順調に見えることすらあります。

作業に詰まるレベルにはどのようなものがあるか予め洗い出しておくことで、そういう状況に陥った時に気付きやすくなるのではないかと思い、やってみることにします。上から詰まり度合いが高い状態です。

  • 何をすれば良いか分からない。(取っ掛かり)
  • それは分かるが、どうすれば良いか分からない。(方法論)
  • やり方も分かるが、作業中に問題が発生した。(制約)
    • それは未知の問題である。
    • それは既知の問題である。
  • 問題はないが手際が悪い。(不慣れ、習熟度)
  • スムーズだが分量が多い。(捗っているように見えないだけ)
  • 時間が取れない。
  • モチベーションが低い。

他にもあるでしょうし、もちろん人によっても観点や粒度は異なるでしょう。一度こうやって整理しておくと、何で詰まっているのかが見えやすくなります。何で詰まっているのかが分かれば対処もしやすくなるのではないでしょうか。

「デスマーチ」エドワード・ヨードン著

本書はもう何年も前に一度読んだのですが、今年から「炎上プロジェクトから学ぶセミナー」というのを始めたこともあり、改めて読んでみようと思い立ったのです。

デスマーチ・プロジェクトと炎上プロジェクトは印象はよく似ているのですが、厳密には違っています。まず、デスマーチというのは著者のエドワード・ヨードン氏が「プロジェクトのパラメータが正常値を50%以上超過したもの」と定義しているものです。例えば、納期や予算が通常の見積の半分以下であるといった場合です。

それに対して炎上プロジェクトというのは、手を打たなければ約束を守る(契約を履行する)ことができない状況に陥ったプロジェクトのことで、誰かが定義したというよりはもっと俗っぽい言い方です。ヨードン氏の表現ではデスマーチ・プロジェクトは政治的な背景により意図的に作られたものですが、一方で、プロジェクトが炎上する原因はマネジメントの欠如です。そしてデスマーチ・プロジェクトは必ずしも炎上するとは限りません。同様に、炎上するプロジェクトが全てデスマーチとも限りません。そこははっきりと区別すべきだろうと思います。

見方を変えると、デスマーチ・プロジェクトは(火を点けられて)最初から炎上しているプロジェクトとも言えるでしょう。しかし、本書は単にデスマーチ・プロジェクトの実例を取り上げて、その悲惨さ・異常さを揶揄(やゆ)するのが目的ではありません。むしろ本書ではデスマーチを肯定的に捉えており、デスマーチ・プロジェクトをどのようにマネジメントして成功に導くかというテーマを真剣に展開しているのです。

普通のプロジェクトではマネジメントに多少不備があるくらいでは成功率はそれほど下がらないかもしれませんが、デスマーチ・プロジェクトの場合ではほぼ間違いなく失敗します。本書では、デスマーチ・プロジェクトの処方箋として「トリアージ」という考え方を提唱しています。(他にも、予防策として「プロマネ版フライト・シミュレータ」を用いた訓練を提唱していますが、興味のある方は読んでいただきたいと思います。)

トリアージというのはもともと野戦病院での限られたリソースの中で最高のパフォーマンスを導き出すための考え方です。全ての事項に対処できないので、基準を決めた上で4段階の優先順位をつけ、優先度の高いものから対処していくのです。このことは炎上してしまった普通のプロジェクトでも効果があります。ここで重要なのは利害関係者が「全ての事項に対処できない」という共通の認識を持つことです。「全部やるのが当然」という根深い完璧主義の文化が、容赦なく足を引っ張ることになるからです。

その文化についてですが、デスマーチをマネジメントするにあたっての大きな障害に成り得るとヨードン氏は指摘しています。そして文化を変えることはできないが、文化から隔離することはできる、とエールを送っています。いずれにせよ、本書で紹介されているいずれの方法も特効薬ではなくただの薬であり、何よりもマネジメントを継続していくということが肝要ですね。

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書名:デスマーチ 第2版
副題:ソフトウェア開発プロジェクトはなぜ混乱するのか
著者:エドワード・ヨードン
発行:日経BP社/2006年5月8日
ISBN:4-8222-8271-6

TPP論争に見る、単純化の罠(わな)

日本経済新聞のマーケット総合面に「大機 小機」というコラムがありますが、10日付では「TPPはこれからが本番」という興味深いタイトルでしたので、今回はこのコラムを基に考えてみたいと思います。

私がこのブログ記事の見出しに含めた「単純化」という言葉は、先ほどの新聞コラムで言うところの「白か黒か」、似たような表現では「All or nothing」「0か1か」「0%か100%か」「零点か満点か」。つまり、実際には複雑で多様な構造であるのに、それを単純な構造とみなして歪めてしまうことを指しています。

確かに、複雑で混沌とした対象を理解するには、両極端の例を考えてみるというプロセスは悪い選択肢ではありません。しかし、分かりやすいためにその両極端が独り歩きしやすく、そうなってしまうと対象をありのままに捉えることが難しくなってしまいます。TPPの論争では実際にそうなってしまいました。

TPP賛成派はTPP参加のメリットと不参加のデメリットを主張し、一方、TPP反対派はTPP参加のデメリットと不参加のメリットを主張しています。そして、お互いに話を聴こうともせず一歩も譲らない…そんな硬直化した論争、それは全く議論になっていません。賛成派だけの集会、あるいは反対派だけの集会の存在がそのことを良く表しています。

冒頭にご紹介したコラムにも書かれていましたが、TPPは仮に参加しても参加して終わりというものではありません。参加した後どうするのかが重要なのであって、参加するのが是か非かという二元論では語れないのです。そんな当たり前で重要なことが、単純化によって見え難くなってしまっているのが現状ではないでしょうか。

これは何もTPPに限ったことではありません。ビジネスの現場では日々、いや時々刻々と判断を迫られます。その時、0か1かという単純化の罠に陥らないように気を付けたいと思います。


やめる決断・やめない言い訳

今回は日刊紙ではなく、東京商工会議所が発行している東商新聞の9月20日付です。経営に活かす!タイミングマネジメントという連載のコラムがあるのですが、その第5回、決断のベスト・タイミングという記事をご紹介します。この連載は株式会社プライムタイム代表取締役・坂本敦子さんの寄稿です。

ここ数年、ビジネスの世界では「選択と集中」という言葉を良く耳にします。ですが、それが単なる掛け声に終わっているということはないでしょうか。ある事業を選択してそれに経営資源を集中させるということは、選択しなかった事業を「やめる」ということでもあります。でもそれがなかなかできない。できないから経営資源が分散する。するとどの事業も中途半端になってしまいますよね。

では、なぜ「やめる」ことができない(=タイミングを逃す)のでしょうか。この記事では例として次のような要因を挙げています。

  • 今なんとなくうまくいっている、今特に問題ない状態が続いている
  • 他社がやめていないから、自分たちも今やめなくても大丈夫だろうと考える
  • 面倒な交渉が必要なので億劫だ
  • 今までやってきたことを否定することになることを避けたいというプライドが邪魔をする
  • 周囲の目、世間体が気になる
  • 相手とのしがらみ、人間関係の情が絡む
  • 後でやめても結果はそんなに変わらないだろうという楽観視(予測・判断の甘さ)

いかがでしょうか。ここに挙げられたものはどれも理屈というよりも心理的・感情的な要因ばかりです。やめるリスクを負いたくないという気持ちは当然あるでしょう。しかし、それと同時にやめないリスクも平等に評価しなければなりません。それぞれを天秤にかけた時、どう判断するかです。

そもそもなぜ、選択と集中が必要だと思ったのでしょうか。


なぜ欧米の危機対応は迅速で、日本のそれは後手に回るのか

本日の日経新聞の9面「経営の視点」というコラムに日本と欧米の意思決定文化の違いについて興味深い内容が記されていたのでご紹介します。

大震災から2ヶ月になろうとしていますが、地震発生直後、特に福島第一原発の状況が判明してからの欧米各国の避難や撤退などの対応が素早かったのは記憶に新しいと思います。その時の日本人の反応といえば、大げさだとか薄情だとかいったネガティブなものが多かった印象があります。その温度差はどこからくるのでしょうか。

日本の場合は何か事が起こってから慌てて対応を決める。一方、欧米諸国の場合はそうではなく、予め定めておいた手順を粛々と忠実に実行する。――その差が決断のスピードの差だということです。

ではなぜ日本では、危機が起こったときの対応手順を予め定めないのでしょうか。

実はここにヒントがあります。日本では最悪の事態を想定すると、弱気だ、これまでの取組みに対して失礼だと責められる――そんなことは起こるはずがない、いや、起こってはならない、というわけです。そういえば、太平洋戦争中は日本が負けたときの事を考えるなどとんでもないという風潮があったことを思い出しました。「必勝」という精神論――最良の事態のみを考えるべきであって、最悪の事態を考えることは許されなかったのです。

どんな対策を施しても万全ということはありません。対策は費用がかかるためどこかで線を引かざるを得ません。しかし、想定には限りがなく、対策できなくても想定して先回りしておくことで、事が起こったときの被害を最小限に食い止めることができるのです。心を鬼にしてとことん最悪の事態を想定しましょう。


「想定外」は免罪符か

ちょっと前の話で恐縮ですが、5月2日付の日経新聞1面トップに「新しい日本へ」と題した連載の記事が掲載されました。この連載は大震災で失われたものを元に戻すのではなく、教訓を生かして新たな国を作り上げようという趣旨のようです。そこで採り上げられていた話題に関連して述べたいと思います。

よく、信頼性を損なう事件――例えば個人情報漏洩や集団食中毒など――が起こると「安全神話が崩壊した」などと報道されます。しかし、その【神話】という言葉のニュアンスには、「真実でない」「裏付けがない」といった性格が隠れているように思います。つまり「安全だと信じていたけれど、そうではなかった、裏切られた」という思い。幾ばくかの悔しさ、恨めしさがにじみ出ている表現です。

そしてまたよく関係者のコメントとして登場するのが「想定外」という言葉です。これは実に巧い言葉です。「想定していない、想定できなかったのだから自分には責任がない」というニュアンスを感じさせます。逆に言うと責任逃れのようにも聞こえます。何故なら本当はリスクについて警告する人はおり、それに対して耳を傾けず、対処もしなかったからです。その言い訳が通るのなら何も危機を想定しないことが許されてしまいます。

私はリスクマネジメントはリスクを直視することから始まるのだと考えています。いや、一般的にはそう教わると思います。先日の記事でも紹介した失敗学の畑村洋太郎さんが言うには、日本では「見たくないものは見ない。考えたくないことは考えない。」(冒頭の新聞記事引用)まさに安全神話はそうした国民性が創り出したものなのでしょう。どんなに「○○○は危険だからやめた方が良いよ」と言ったところで、煙たがられるのが落ちです。(日常のことを色々当てはめてみてください)

もちろん、脅威を回避するだけがリスクマネジメントではなく、対策を何もしない「受容」という考え方もあります。しかしそれは脅威が現実のものとなった際には「きちんと想定した上で何も対策をしないことにした」と言えなければなりません。そしてそうなった場合にどうするかということは最低でも考えておかなければならないのです。それは覚悟であって「想定外」とは全く違います。

「想定外」は免罪符にはなりえません。それは想定する能力の欠如を意味するか、免罪符にすがろうとする浅ましさを露呈するだけなのです。少なくとも、想定していなかったことを謝るべきであって、居直る態度はいただけません。