「デスマーチ」エドワード・ヨードン著

本書はもう何年も前に一度読んだのですが、今年から「炎上プロジェクトから学ぶセミナー」というのを始めたこともあり、改めて読んでみようと思い立ったのです。

デスマーチ・プロジェクトと炎上プロジェクトは印象はよく似ているのですが、厳密には違っています。まず、デスマーチというのは著者のエドワード・ヨードン氏が「プロジェクトのパラメータが正常値を50%以上超過したもの」と定義しているものです。例えば、納期や予算が通常の見積の半分以下であるといった場合です。

それに対して炎上プロジェクトというのは、手を打たなければ約束を守る(契約を履行する)ことができない状況に陥ったプロジェクトのことで、誰かが定義したというよりはもっと俗っぽい言い方です。ヨードン氏の表現ではデスマーチ・プロジェクトは政治的な背景により意図的に作られたものですが、一方で、プロジェクトが炎上する原因はマネジメントの欠如です。そしてデスマーチ・プロジェクトは必ずしも炎上するとは限りません。同様に、炎上するプロジェクトが全てデスマーチとも限りません。そこははっきりと区別すべきだろうと思います。

見方を変えると、デスマーチ・プロジェクトは(火を点けられて)最初から炎上しているプロジェクトとも言えるでしょう。しかし、本書は単にデスマーチ・プロジェクトの実例を取り上げて、その悲惨さ・異常さを揶揄(やゆ)するのが目的ではありません。むしろ本書ではデスマーチを肯定的に捉えており、デスマーチ・プロジェクトをどのようにマネジメントして成功に導くかというテーマを真剣に展開しているのです。

普通のプロジェクトではマネジメントに多少不備があるくらいでは成功率はそれほど下がらないかもしれませんが、デスマーチ・プロジェクトの場合ではほぼ間違いなく失敗します。本書では、デスマーチ・プロジェクトの処方箋として「トリアージ」という考え方を提唱しています。(他にも、予防策として「プロマネ版フライト・シミュレータ」を用いた訓練を提唱していますが、興味のある方は読んでいただきたいと思います。)

トリアージというのはもともと野戦病院での限られたリソースの中で最高のパフォーマンスを導き出すための考え方です。全ての事項に対処できないので、基準を決めた上で4段階の優先順位をつけ、優先度の高いものから対処していくのです。このことは炎上してしまった普通のプロジェクトでも効果があります。ここで重要なのは利害関係者が「全ての事項に対処できない」という共通の認識を持つことです。「全部やるのが当然」という根深い完璧主義の文化が、容赦なく足を引っ張ることになるからです。

その文化についてですが、デスマーチをマネジメントするにあたっての大きな障害に成り得るとヨードン氏は指摘しています。そして文化を変えることはできないが、文化から隔離することはできる、とエールを送っています。いずれにせよ、本書で紹介されているいずれの方法も特効薬ではなくただの薬であり、何よりもマネジメントを継続していくということが肝要ですね。

――――
書名:デスマーチ 第2版
副題:ソフトウェア開発プロジェクトはなぜ混乱するのか
著者:エドワード・ヨードン
発行:日経BP社/2006年5月8日
ISBN:4-8222-8271-6

強い組織に見られる性質

リーダーシップというテーマだけで興味を持つ方は多くいらっしゃると思いますが、今回ご紹介する本はちょっと趣が異なっています。というのも、本書はアメリカ海軍の士官候補生のための書物だからです。ですので、そのまま日本の企業に当てはめようと思うと多少無理があります。

とはいうものの、エッセンスを抽出すると、実は日本の企業におけるリーダー(あるいはマネージャー)でも教訓にすべき原則がたくさん述べられているという点は特筆すべきでしょう。特にラインのマネジメントにおいて気づかされる点は多いです。

本書は様々な切り口で書かれており、一言で表現するのは難しいのですが、私が特に興味を抱いたのは次の点です。それはリーダーは次のような態度でいるべきだという勧めです。

  1. 健全な懐疑主義
    一言で言うと、他人の意見を鵜呑みにしないということ。本当にそうかどうか自分の目で確かめるまで判断を保留するという態度です。それは「もちろん」「当然」「常識」「伝統」「慣例」などを疑うということでもあります。
  2. 客観性
    前項の内容と絡めると、自分自身の客観性を疑うということでもあります。つまり、自分が何かを判断するとき、あるいは観察するとき、どうしても主観的になってしまう。逆説的ですが、自分が客観的ではないと悟るところから自分の客観性が始まるのです。
  3. 変化への即応性
    懐疑的な態度であらゆることを疑いつつも、新たに客観的な証拠が示された場合にはそれを即座に受け入れるということです。現在のすべてに反対するというのは結局何も変えようとしないに等しいのです。

また、本書はリーダーシップについてというよりは、組織論について書かれた本と呼ぶのが相応しいかもしれません。そう考えると次のような「組織の原則」という項目は実に今の日本の企業においても参考にすべきでしょう。いくつか要約して列挙すると、

  • どんなタスクも2つのグループまたは2人以上に割り当ててはならない
  • 組織のメンバーは誰でも、自分が誰に報告するか、誰が自分に報告するか、を知らなければならない
  • 組織のメンバーは誰でも、2人以上の監督者に報告してはならない
  • 誰でも効果的に調整かつ指令することができる範囲以上のグループまたは個人を、直接報告関係にある部下として持ってはならない
  • 細かな手続きよりもむしろ、ポリシー(方針)によって統制を行うべきである

などなどです。軍隊がそうであるように企業においても組織構造がシンプルで、全てのメンバーが主体的に動く組織は強いのです。
――――
書名:リーダーシップ
著者:アメリカ海軍協会
発行:生産性出版/1981年10月24日
ISBN:978-4-8201-1916-6


のど元を過ぎ、熱さを忘れてしまわないうちに…

今回の震災、特に津波の被害の映像は何度見ても悲劇的です。「映画を見ているようだ」と形容している人もいます。

さて、この東日本の太平洋岸を襲った大津波ですが、ふと、10年近く前に読んだある本の事が頭をよぎりました。それは畑村洋太郎氏の「失敗学のすすめ」というタイトルの本です。当時、仕事の周辺でとある失敗の取扱われ方に疑問を抱き、たまたま何かで知った本書を手に取ったのです。畑村氏の研究および著作は、私たちがネガティブなイメージを抱きがちな「失敗」というテーマについてポジティブに捉えさせてくれます。

少し長いですが79ページからの一節を引用します。(引用部分だけ読むとネガティブな印象を受けてしまうかもしれません。全体を通して読むことをお薦めします。)

失敗情報は伝わりにくく、時間が経つと減衰する

<前略>

失敗情報が減衰する事を示す典型例をもうひとつあげましょう。昔から何度となく大規模な津波被害を受けてきた岩手県三陸海岸を歩いたときに実際に見聞した話です。

<中略>

その三陸海岸の町々を注意しながら歩いてみると、あちらこちらに津波の石碑を見つけることができます。大規模な津波が押し寄せるたびにつくられたもので、犠牲者も多かった古い時代の石碑は慰霊を目的にしていました。その中には、教訓的な意味合いが込められたものもあり、波がやってきた高さの場所に建てられ、「ここより下には家を建てるな」という類の言葉が記された石碑も少なくありません。上の写真を見て下さい(筆者注:実際には写真が掲載されています)。この石碑にはここより下に家を建てるなと書いてあるのに、そのすぐ下に家が建っているのです。日々の便利さの前にはどんな貴重な教訓も役立たないことを物語っています。

昔から伝わるそんな忠告を人々が忠実に守り、いまでも石碑より下には絶対に家を建てないなど徹底した津波対策をとっている地域ももちろんあります。かと思えば別の地域では、便利さゆえに先達たちが残した教訓を忘れて、人が次第に海岸縁に集まっているところもありました。

そんな地域でも今では防潮堤がつくられるなど対策がとられていますが、その昔は教訓などまったく忘れたある日、再び突然やってきた津波ですべてが押し流されてしまうということもあったのです。その経験もやはり石碑に教訓として刻まれたりしますが、それでもなお一部の地域では便利さゆえに海岸縁に住み続けています。

このように一度経験した失敗がごく短期間のうちに忘れられ、再び同じ失敗を繰り返すことは珍しくありません。三陸海岸という津波常襲地帯で行われてきた過去の例にも、「失敗は伝わりにくい」「失敗は伝達されていく中で減衰していく」という、失敗情報の持つ性質がはっきりとうかがえます。

いかがでしょうか。

改めてこの箇所を読み、言葉が出なくなりました。これは津波被害に遭われた方々のことを指して書かれた文章ではありません。まさに私たちが教訓を得なければならない。身の回りで当たり前になっていることをもう一度見直さなければと強く思いました。

————

書名:失敗学のすすめ
著者:畑村洋太郎
発行:講談社/2000年11月20日
ISBN:4-06-210346-X


探すと似たような記事が見つかったのでリンクしておきます

「忘れた頃にやってくる」から災害になる

岩手県宮古市の丘の上には,「ここより下に家を建てるな」と書かれていたりします

三陸海岸の石碑は警告していた